ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ : Bill Haley & His Comets

ウィリアム・ジョン・クリフトン・ヘイリー(William John Clifton Haley、1925年7月6日 – 1981年2月9日)はアメリカのミュージシャン。1950年代後半のロックンロール・ブームの火付け役の1人である。ヒット曲の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は「ロックンロールの古典」として最も著名な1曲である。

ミシガン州ハイランド・パーク出身。1946年にカントリーのバンドで活動を始める。1949年に自身のバンド「サドルメン」を結成、やがてカントリーにR&Bの刺激的な要素を加えた方向性を模索するようになる。
1952年に「サドルメン」はバンド名を「ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ(Bill Haley & His Comets)」と改名した(日本ではビル・ヘイリーと彼のコメッツとも表記)。ロックンロール調の「クレイジー・マン・クレイジー」をヒットさせる。

1954年に「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を発表。映画「暴力教室」のオープニングに使用されたこの曲は、1955年のビルボードチャートで8週連続1位という大ヒットを記録する。これをきっかけに、それまでポピュラー音楽の中でもマイナーな存在だったロックンロールがブレイクし、アメリカをはじめとする世界中の若者の間に大ブームを巻き起こした。
この後ヘイリーは「シー・ユー・レイター・アリゲーター」などのヒットも出すが、やがてエルヴィス・プレスリーらの、より若く刺激的なロックンロール・スターの登場により影が薄くなった。

1960年代以降は主にヨーロッパやブラジルなど海外を中心に活動していたが、1970年代にはアルコール中毒に陥って活動が困難となる。やがて脳腫瘍を患い、1981年に死去。1987年に「ロックの殿堂」入りを果たした。

「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、「ロックンロールの最初で最大のヒット曲」とされ、ギネス・ワールド・レコーズの認定によれば、世界中で通算2500万枚(推定)を売り上げたとされる。

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